利根川水系連合・総合水防演習
平成27年5月16日、群馬県伊勢市の利根川で水防演習が行われました。
日本水フォーラムは、国土交通省と共に、各国の在京大使館の方々をお招きしてこの水防演習の見学を実施しました。
ベナン共和国特命全権大使、シリア・アラブ共和国臨時代理大使を始め、18カ国25人の大使館・国際機関の方々が参加されました。
日本は世界でも最先端の近代社会を走っています。しかし、その21世紀の近代日本で、人々のボランティアによって、地域を守る水防活動が行われています。この水防活動はもう何百年間も続いています。
世界の外交官たちはそのことに驚き、感動しているようです。
私はこの水防演習に参加するたびに、日本人を強く意識してしまいます。
敵がいなかった日本
日本の歴史は、約1,500年前の飛鳥時代から文書で記録に残されています。この歴史の中で、日本は一度も他民族に侵略されませんでした。
何しろユーラシア大陸と日本列島の間には、対馬海流が勢いよく流れています。そして、日本列島には先が読める安定した貿易風は吹いていません。1年中、不安定な低気圧の通り道になっています。
この対馬海峡の地形と、不安定な低気圧の通り道の気象が、日本を守り続けました。日本文明は、世界史の中で一度も侵略されなかった不思議な文明です。
国際政治学者の故・サミュエル・ハンティントンは日本文明を指して「日本文明には敵対する文明はなかった。しかし、連携する文明もなかった」としています。日本文明は孤立した文明だったのです。
日本には敵がいませんでした。敵のいない日本には、共同体意識は育たなかったのでしょうか?
共同体意識
共同体意識は、敵の存在によって形成されます。敵がいる共同体には強い共同体意識が育ち、敵のいない共同体には緩い共同体意識しか育ちません。
21世紀の日本には敵がいませんから、普段は日本人など意識しません。しかし、ワールドカップやオリンピックが始まると、急に日本人意識が強まってきます。スポーツでは、敵の存在が露わになってくるからです。
歴史的に日本には、敵がいないのです。ですから、日本人に共同体意識は育たなかったのでしょうか?
実は、日本人に敵はいたのです。それは日本列島の内に存在していたのです。
日本人の敵は「洪水」でした。
宿命の敵・洪水
日本列島の降水量は年間1,700mmと比較的多いのですが、季節変動と時間変動が大きい降雨です。さらに、日本列島の中央を脊梁山脈が走っています。そのため、降った雨は一気に海に向かって流れ下ります。
下流部の沖積平野は、肥沃ですが、洪水が襲ってくる危険な場所でもありました。日本人はこの沖積平野で稲作を開始したのです。
稲作のため人々は力を合わせて堰や水路を造り、川から水を引きました。
そして、襲ってくる洪水から自分たちを守るため、堤防を築きました。
洪水は毎年のよう襲ってきました。堤防の決壊によって多くの人命と財産が失われ、人々を苦しめました。
稲作を開始した人々にとって、洪水との戦いは、避けることができない宿命だったのです。堤防の築造と堤防の強化、そして、特に洪水時の水防活動は、共同体にとって最重要課題となっていきました。
この洪水と戦うことで、共同体意識が醸成されていきました。
共同体とアイデンティティー
稲作の歴史は、洪水との戦いの連続でした。洪水との戦いの物語が、村に伝説として残されました。洪水への勝利のため、神社は祈りの場となりました。村の祭りは、みんなが堤防を歩いて、堤防を踏み固める祭りになりました。
為政者たちも、人々が堤防を踏み固める工夫を凝らしました。堤防に桜を植え、春にはお花見で人々を堤防に集めました。夏には花火大会で人々を堤防に集めました。芝居小屋や料亭街を堤防の近くに許可をして、多くの人々が堤防を歩くようにしました。
稲作共同体の人々は、この川の歴史と文化の中で育ちました。それらは人々の故郷の思い出として心の中に定着しました。そのメモリーが、その共同体に属している意識「アイデンティティー」として形成されていったのです。
都市化の中で
150年前の明治の近代化以降、日本は激しい都市化に見舞われました。その都市化の中で、稲作共同体は崩壊する危機を迎えました。
しかし、稲作共同体が衰退しても、洪水から地域を守るという地域共同体意識は変わりませんでした。
その証が、今も続いている地域の人々による水防活動なのです。
堤防の漏水を防ぎ、堤防の決壊から地域を守る水防は、今でも現実なのです。単なる行事ではないのです。
私は仕事上、数え切れないほど水防演習に参加しました。そして、この演習に参加するたびに、自分は日本人だ、と強く感じます。
それは、水防演習では洪水という「敵」を身近に意識してしまうからなのです。 |